最近、テレビなどのマスコミで「HIV」や「AIDSエイズ」という言葉を、すっかり見かけなくなったような気がします。
どうしてなんでしょう?
個人的には、ずっと「?」だったのですが。。。
自分が感染者となって、真面目に考えてきた、その「結論」としては。。。
以前と違って、「死の病」ではなくなってきているけれども。。。
かといって、「完治」するわけでもないし、感染しても平気とも言い難い。。。
その「微妙なニュアンス」を伝えることができるほど、レベルが高くないから。。。
「報道することを避けている」
のではないかと思っています。
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HIVやエイズの報道が過熱していたのは、アメリカで「同性愛者(ゲイ)の病気」として注目されて、センセーショナルに取り上げられ。。。
アフリカで、やせ細って死んでいく姿を、「恐怖の病」として、一方的に報道するのは得意だけど。。。
いざ、治療薬や、その組み合わせが研究されて、劇的に治療環境が整うと。。。
そういった悲劇的な一面を取り上げるだけでは、HIVやエイズの全体像を伝えられないんですよね。
もし、それだけを強調しすぎてしまうと、HIV感染を知った途端に、自殺したり、自暴自棄になることも考えられるので、そういった偏った報道は難しいと思います。
かといって、もう罹っても「平気」と楽観することも出来ないし。。。
軽々しく「テーマ」として取り上げづらいので、ついつい「報道すらされない」ことになってしまっているのではないかと思っています。
一方で、感染者は増え続けている現状があるので。。。
無視できるような問題とも言い難いし。。。
なかなか難しいですよね^^;
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自分自身、HIV感染者が、これ以上増えないように願っているけど、その情報発信には、上記と同様の「ジレンマ」を感じながらの活動となってしまっています。
最も望ましいのは、完治薬が出来ることだけど。。。
なかなか難しいようなので、地道に活動していくしかないのかなと。。。思ったりしています。
私のブログを「きっかけ」に、いろいろ感じたり考えたりしていただければ。。。
それはそれで、意義あることだと考えているところですが。
今後も、HIV感染者として、これ以上感染者が増えないために、どう「HIV」や「エイズ」と向き合うべきなのか。。。
試行錯誤は続いて行きそうです。。。(つづく)
コメント
はじめまして。横浜の そう と申します。
この問題、無関心だけど過去にAIDSパニック問題があって、今も差別偏見が強く、隠して生きている陽性者も多いのが取り上げにくい要素だと思います。
取り上げられないことで古い常識(?)に怯える人々の偏見が解けない悪循環になっているのですが・・・。
私自身ゲイ男性として、HIV/AIDS問題に首を突っ込んで約10年になりますが、未だに〜10年で必ず発症する・発症したら助からない・有効な薬は無い(またはとても高額な薬で治療継続困難)と古い(?)常識のままの中高年、逆にもう終わったとか薬でコントロールできるから大丈夫と楽観視しすぎる方々に遭遇する事が多々あります。
ちょっと違うんだけどなぁ・・・と思いつつ、話したいのだけど私自身はHIVの感染告知を受けたこともなければAIDS発症の経験もない。
いきなりAIDSから生還した知り合いも複数いるし、陽性者の知り合いも多いけど事例紹介は時にアウティングに繋がる難しさがあるし、治療や福祉制度のことも話したいけどバッシングに繋がる懸念や隠して生きている陽性者が生きづらくなるんじゃないかという懸念もあってなかなか話しにくい。
結局『エイズに詳しい人』(私)にわざわざ聞きに来てくれた人にも不充分な情報提供しか出来ないもどかしさが残ったりします。
どうしたら今のHIV/AIDS事情を知ってもらい、隠さないと生きづらい陽性者の生活も脅かさず、HIVを持っている人も判らない人も持っていない人も生きやすい社会にしていけるのか・・・初めてのコメントで長々とすいませんでした。
そうさん、こんにちは^^
そうですね。「差別や偏見」のせいで、感染者や患者を取材することも難しいでしょうね^^;
ただ、そういった「差別や偏見」を助長したのは、間違いなくマスコミの責任が大きいから、きちんと「責任(尻拭い)」はとって欲しいものです!
HIVやエイズというと、「同性愛者(ゲイ)」ということがすぐにイメージされるほど偏見があるし、仮に、その偏見がなくなっても、今度は「性病=うつるしうつされる」というイメージが付いて回るし。。。
さらにその上に、病気自体への誤解も加わって、なかなか「難解」な状態になってしまっていますよね^^;;
これらが、完全に払拭されるためには、完治薬の登場を待つしかないのかもしれませんが。
それでも、きちんとした知識を持って判断されずに、偏見や誤解で決め付けられるのは勘弁して欲しいし、感染しているいないにかかわらず、一人一人がなんとかしようと努力すべき(自分の知識が本当に正しいのか確認すべき)なんでしょうね。
今後に、(悲観せず)期待したいところです。